ヒグマの話し

ヒグマと共存するために



看板に書かれている内容を、書き換えることなくそのまま掲載しています。


ヒグマと共存する為に

~私達に出来る事~

 知床は、1964年(昭和39年)国立公園に指定され、2005年(平成17年)7月に世界自然遺産に登録されるなど、国内はもとより世界的にも原始的な自然環境が評価され、将来にわたって保護・保全しなければならない貴重な地域です。


 その知床の特徴の一つとして、世界的に見てもヒグマの生息密度が高いことがあげられます。このことは世界自然遺産の登録審査でも高く評価されました。しかし現在知床では、人間を恐れない新世代のヒグマ出現など、かつて見られなかった状況があり、新しいヒグマと人間の関係が求められています。


 ヒグマと人間とが良い関係を築くためには、どのようにいしたら良いのでしょうか?それには私たちがヒグマのすみかにお邪魔しているという気持ちを持って振舞い、適度な距離を保ってヒグマとつき合うことが大切です。


 今、私たちにできることは、ヒグマにエサを与えたり、エサとなるようなゴミを捨てることをやめることです。


環境省


ソーセージの話しを知っていますか

~コードネーム97B-5、またの名をソーセージ~

 彼女と初めて出会ったのは1997年秋、彼女は満一歳、母親から別れて独立したばかりだった。翌年の夏、国立公園の入り口に近い幌別地区に、彼女は突然姿を現した。


 彼女が現れだしてすぐに、とんでもない連絡が飛び込んできた。ワゴン車の観光客が路肩に出てきた彼女にソーセージを投げ与え、それを食べていたというのだ。始めて嗅ぐ魅惑的な匂いに、横付けされた車への警戒心も忘れ、想わず食べてしまったのかも知れない。それからの彼女は、同じクマとは思えないほどすっかり変わってしまった。何度も道路沿いに姿を現すようになった。


 彼女が道路に現れるたび、見物の車の列ができ、ますます人慣れしていった。「まあ、かわいい」と餌を投げ与えたものが、ほかにもいたかもしれない。人間の食物の魅力に惑わされ、人や車は警戒する対象から、食物を連想できる対象へと急変し、我々には、これが危険で困った状態に変わっていくことが予測できた。北米の国立公園でクマへの餌やりの結果、多発した悲惨な人身事故が起きた歴史をよく知っていたからである。


 我々は必死になって、彼女を威嚇し、追い払い続け、それは何十回となく繰り返された。人に近づくと恐ろしい目に遭うことを学習させようとした。


 しかし効果は出ず、どうしても行動を改めようとしない彼女を、10月末に我々は生け捕りにした。「人間は怖いものだぞ」と教えるため、クマスプレーでお仕置きをし、もう人には近づくなよと、祈りを込めて放獣した。


まもなく冬眠の季節、眠りから覚めたとき普通のヒグマに戻って欲しいと強く願った。


 翌1999年4月、三歳になった彼女が動き始めた。しかし我々の願いは虚しいものとなった。国立公園から出て、ウトロ市街地まで入り込み始めた。ますます彼女の行動は過激になって行くに違いない。そしてある日の早朝、彼女は学校のグランドのそばでシカの死体を食べ始めた。もうダメだ、子供たちの通学が始まる前に、すべてを済ませる必要があった。すでに学校わきを抜け、川へと下っている。その先は市街地だ。先回りをする。


 彼女は一瞬驚いたように立ち止まり、あわてて斜面へと登り始めた。激しい発射音が響き渡った。我々の選択は正しかったのか、もっと出来ることは無かったのか、迷いが心をよぎる。何気ない気持ちの餌やりが、どれほど多くの人々を危険に陥れるか、そして彼女は知床の森に生まれ、またその土に戻っていくはずであった。


 それはたった1本のソーセージによって狂い始めたのである。失われなくても良かった命を奪うことになることを、よく考えて欲しい。


「知床のほ乳類Ⅱ」から抜粋


斜里町・斜里町教育委員会