大阪城&OBP

大阪城&OBPの景色




大阪城&OBPの景色

= Osaka City in Osaka Pref. =

全 75 枚

 用事で訪れたOBP(大阪ビジネスパーク)。その合間にぶらりと散策して写した大阪城周辺の景色を掲載しています。順路:OBP~青屋門~極楽橋~大阪城~桜門~豊国神社

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諸情報

大阪城(大坂城):古くはおおざかじょうと読み、安土桃山時代から江戸時代のお城で、別称金城あるいは錦城ともいいます。豊臣政権の本城でしたが、大坂夏の陣で焼失し豊臣家が滅亡した後再建され徳川幕府の西日本の支配拠点となりました。


 大阪城は、豊臣氏が築城した当初の城と、その落城後に徳川氏が再建した城とで縄張や構造が変更されています。現在地表から見る事ができる縄張はすべて、江戸時代のものです。とはいうものの、堀の位置、門の位置などは秀吉時代と基本的に大きな違いはありません。これは秀吉時代の縄張がそれなりの合理性があった証とも言えます。


 現在の大阪城は、徳川氏再建の石垣基礎上に鉄骨とコンクリートで建てられ大阪城天守閣の中は博物館になっています。外観は絵図を基に新たに設計されたもので、豊臣氏時代と徳川氏時代のそれぞれで建っていた場所も外観もまったく異なりますが、復興大阪城天守閣では初層から4層までは徳川時代風の白漆喰壁とした一方、5層目は豊臣時代風に黒漆に金箔で虎や鶴の絵を描いています。この折衷に対しては諸々議論があり、豊臣時代の形式に統一するべきとする意見もあります。


 1995年から1997年にかけて、平成の大改修が行われました。大阪城の建物全体に改修の手が加えられ、構造は阪神・淡路大震災級の揺れにも耐えられるように補強され、外観は壁の塗り替え、傷んだ屋根瓦の取り替えや鯱・鬼瓦の金箔の押し直しが行われました。また、身体障害者や高齢者、団体観光客向けにエレベーターも取り付けられています。1997年、国の登録有形文化財に指定され、大阪城内に残っている大手門・焔硝蔵・多聞櫓・千貫櫓・乾櫓・一番櫓・六番櫓・金蔵・金明水井戸屋形・桜門などの遺構は、国の重要文化財にも指定されています。

豊臣大坂城~徳川大坂城

 築城者である秀吉自身は、京都に聚楽第、伏見城を次々に建造し、大阪城よりもむしろ、そちらに多く居住していました。秀吉死後の1599年、秀吉の遺児、豊臣秀頼が伏見城から完成した大坂城本丸へ移り、また政権を実質的に掌握した五大老の徳川家康も西の丸に入って政務を執りました。1603年に徳川幕府が成立した後も、秀頼は大坂城に留まり摂津を支配していましたが、1614年の大坂冬の陣で家康率いる大軍に攻められ、篭城戦を行いました。そして、その講和に際して惣構・三の丸の破却が取り決められ、さらに二の丸の外堀が埋め立てられてしまい、内堀と本丸のみを残す裸城にされてしまいました。秀頼は堀の再建を試みたために講和条件破棄とみなされ、冬の陣から4か月後の1615年、大坂夏の陣で大坂城は落城焼失、豊臣氏は滅亡しました。


 落城に際して灰燼に帰した大坂城は初め家康の外孫、松平忠明に与えられますが、1619年に幕府直轄領(天領)に編入され、翌1620年から徳川秀忠によって再建が始められ、3期にわたる工事を経て1629年に完成しました。徳川氏の大坂城は豊臣氏の大坂城の石垣と堀を破却して、全体に数メートルの盛り土をした上により高く石垣を積んだので、豊臣大阪城の遺構は地中に埋もれてしまいました。


 天守の構造も全く作り変えられ、城郭の広さは豊臣時代の4分の1と小さくなりましたが、天守は豊臣氏の天守とは位置も違い、建物の外観は同じ5層でしたが、大きさも高さも豊臣氏の天守を越えるものとなりました。大坂城をより豪壮な城郭として豊臣氏の物を圧殺するかのごとく全く新しく築く事で、豊臣氏の記憶を封じ込め、かつての豊臣氏の勢威を凌駕する徳川氏の威信を全国に示したと言えます。


OBP(オービーピー、オオサカ・ビジネス・パーク):超高層ビル群と都市公園で構成された、大阪市中央区にある大阪城の北東部、寝屋川と第二寝屋川に挟まれた約26ヘクタールの再開発地域です。大阪城公園に隣接した地域を経済、商業の一大拠点にしようと、大阪市や在阪の大手企業等の取り組みにより共同で建設されました。主な施設は下記の通りです。近くには、大阪城ホール・広大な大阪城公園・水上バス等、充分に楽しめるスポットも多くあります。

OBPの主な施設

クリスタルタワー、東京海上日動ビル、TWIN21、KDDI大阪ビル、 松下IMPビル、富士通関西システムラボラトリ、シアターBRAVA!、OBPキャッスルタワー、住友生命本社ビル、ホテルニューオータニ大阪、住友生命OBPプラザビル、ホテルモントレ・ラ・スール大阪、いずみホール、残念石 ※1.OBPを象徴するビル郡等の施設です。雑貨店・飲食店等が入ったビルもあります。


訪れた感想

 今回は大阪城やOBP(オオサカ・ビジネス・パーク)を観光目的地として訪れた訳ではありません。たまたま用事でOBPの一施設を訪れた時に少し時間があったので、なんとなく豊臣秀吉や徳川家康はじめその当時、大阪城や城下町であったであろうOBP周辺で暮らしていた方々を思いながら、一体どんな生活をしていたのだろうかと考え、この大阪城とOBP周辺を、デジカメ片手にぶらぶらと散策してみました。


 元々ゆっくり出来る時間はなく、訪れた時間も遅かったのに、近づけば近づくほど入りたくなる大阪城。しかし、既に入館時刻も過ぎていた為、結局入る事は出来ず、大阪城内部や、そこからのOBPを含む大阪の景色は見る事が出来ませんでした。


 ただ、高校の時に大阪に住む友人に案内してもらい、1度だけ大阪城に登った事があったのですが、その時は何度も訪れた事のある世界文化遺産・姫路城と同等に内部も保存されていると思っていた為、あまりの内部の近代化に期待外れを感じた経験(※2)があり、諦めも直ぐについていました。(※2.今現在は大変申し訳なく思っているのですが、当時は車椅子をご利用されている方や、身体の不自由な方、高齢者の方の事を全く考えずに、大阪城内にエレベーターなんて・・・と思っていました。)


 とは言え歴史にかなりの興味を持ち始めた昨今、大阪城天守閣内には様々な展示・イベントもある為、今ならかなり楽しめる事と思います。今度大阪城&OBP周辺を訪れる際にはもっと時間をかけ、大阪城天守閣にも必ず登りたいと思っています。


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